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都市野営読本

オッサン中退ジジイ見習い

ワンダフル・ワールド

「大地に食を乞う人」を、

乞食と呼ぶならば、

あらさっと、

人類皆乞食。

てんつくてん!

 

すってんてんの、すってんてん。

てけつく、てけつく、すってんてん。

 

おいらは正真正銘、

乞食だもの。

どうだい、すかしたもんさ。

てけつくてけつく、すってんてん!

 

ほほいの、ほいの、すってんてん。

土は食の倉庫、

そうこうしているうちに、

雨だ、風だ、すってんてん。

 

ほほいのほ~い。

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ごきげんよう。

水が流れ、わたしたちは子どもとして産まれ直した

かつて何人かで廃屋を借りていた。
家賃1人当たり月5百円。
手入れを終えたとき、外観は変わらずとも家の産声を確かに聴いた。
そうして、水を引きに山中へ。
蛇口をひねり水が出たとき、明らかな歓声が――。

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雨の日は昔のことも思い出す。
およそ10人で借りた廃屋。
風を通したとき、家が息づいてくるのが分かった。
神奈川・藤野駅から、しばし山中をめざしたところにあったと思い出せる。
バブル期、通勤圏にもなってしまったのではないか。

 

斡旋してくれた友人の友人は早世した。
当時から芸術村のようになっており、彼は、「村の連中は、芸術さんとか呼んでいる」と笑っていたことを思い出す。
彼自身、陶芸家として活躍し始めており、文字通りの芸術さんだったのだが^^。

 

大雨の日、今でも、山から水を引く暮らしは、「点検作業で大変だよな」と想うときが――。

耳の力

口は、強く意見できる。
目が熱く訴えかけてくることも。
が、しかし、耳はただ受け止めているだけ。
人と人との間で気配が湿ったとき、両者の耳をじっと見つめる。
晴れ渡っていく心持ちの耳が、今まさに生成することを、空にも願いつつ。

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先に、「ちなみに、ここはあまり、アップすることがない。/発作的に記すことがあるかも」と書いた。

ここはひとつ、発作が起きたということで^^。

脳元気へ向けて

 いくつかの記したいことがある。
 読んでみたいのだが、ないなら記すしかないかと。
 あれば、読むだけで十二分。
 暮らしにぜひ、引用したいのだった。

 

 おそらく生きている間には、記すことができないだろう。
 何せ、今も稼がなくちゃならないから^^。
 だから、今日も図書館へ出向き、該当するものを探す。
 それぐらいはする。

 

 読みたいものは、次に示すようなことだ。
 ま、企画案みたいなものか^^。
 平均台の上でフラフラしながらも、存外、マジなんである。

 
 ■都市物語千文字千本
 ■21世紀版落書き『壁は語る』
 ■とんずら労働術への誘いマニュアル
 ■標本〈愛=表現=暮らし〉
 ■平成四季派手帖
 ■写真集・プール絶景
 ■水に映写した水百景
 ■都市サバイバル・ノート
 ■花・はな・ハナ地表図
 ■子どもを暮らすジジイ、もしくは死体見習い読本
 ■付録・てんやわんや

 

 何やら意味不明かもしれないが、仕方ないか。
 説明すると、長くなるし^^。
 説明だけは長いぞ。

 

 そうした中、絵本『お父さんのゲーテ号』というのも考えている。
 要は、おっさんが、自転車を改造、リヤカーに畑を作り、引きながら全国行脚する物語である。

 飛び出す絵本なので、ナスがときにプレゼントされる。
 志は高く、一応、『イージーライダー』の続編の心積もりだ。
水戸黄門』テイストも交えたい。

 

 詩集では、『ラブ・インプロヴィゼーション』。
 これは、若いころ書き記した汗顔の至りの文字を並べ直す双六遊びのようなものか。

 

 あ、ミニコミでは、次のようなものも読みたい。
 ■現在詩1万日
 ■健康ごっこ大全
 ■未来人、かく語りき
 ■命を革める道しるべ

 

 とまあ、相変わらずな。
 梅雨の部屋ごもりも、「何だかな」なので、これからチャリで図書館へ出向くんだった。
「おれは、やはりどうにかしているな」
 そこが、まあ、らしいということで、ご容赦を。

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 ちなみに、ここはあまり、アップすることがない。

 発作的に記すことがあるかも。

【徒然なるままに、下降していく/腰痛考(ブログのコラム再録)】

■「月」に「要」と書いて、「腰」とは、「さすがにどうも、素晴らしいな」と、あらためて。

 人々は、メディアの発達に目を奪われている。
 が、漢字というメディアに比べれば、いかほどのものかと思わないでもない。
 いや、痛感している。


■さて、過日、大木を運ぼうとして、身体の要、腰をいためた。
「いてててて」と。
 結果、用心深くはなっている。
 お調子者の小生としては、いい傾向か。

 一応、念のため、病院へ。
「どうでしょう」
「骨に異常はないですね。ただ、今後は背筋、腹筋を鍛えてください」と、若く晴朗、屈託なき医師。
「ええっ、もう、還暦なんですが、これから鍛える?」
「そうですね。何もボディービルみたいに鍛えるという意味ではありませんよ」
「あ、歩いたり、していますが」
「それじゃあ、意味はない。筋肉を鍛える」

 曖昧に返答し、会話を終えた。
 気分は、失うばかりのプチ障がい者と言えば、怒られるだろうか。


■ただ、この間、いくつかのことを学んだ。
 例えば、起床時、従来のようにスクッとは起きられない。
 では、どうするか。

 布団の中で、まずは横向けになり、ていねいに、少しずつすこしずつ四つん這いになっていくのだ。
 四つん這いが差別用語だとしても、四つん這いになっているのだから、四つん這いと記しておく。
 そうして、そろりそろりと、つかまるところまで移動を。

 その後は、脚ではなく、腕の力を主に使って、立ち上がるのである。
 毎朝、直立二足歩行までの道のり、いわば人類の誕生を、否が応でも、しみじみと痛烈に味わっているのだ。


■日常生活を送る上で、腰がどれほど重要な役割を担ってきたか、痛感しているわけだが、あ、肩をいためたときにも、そう感じていたか。
 いや、手の小指のときも。
「指は、身体の一部だが、その一部がなくなれば、全体のバランスが崩れるほど、重要な一部」と、思ったものだ。
 つまり、身体の部位のどれもが、腰同様、要なのだなと。

 ただ、と思う。
 ただ、そればかりでもないなと。


■単に寝ていることに倦み、公園へ行ったときのことだ。
 全身に痛みが走らないように、要は痛みに貫かれないように、身体の内部の動きを体感しつつ、ていねいに歩くこととなった。
 結果、いつもとは違う充実感に浸れたのである。
 ていねいさ故だろう。

 腰をないものと想像しつつ、歩く――。
 つまり、腰をかばう過程で、他の眠っていた部位の役割を再発見したのである。

 例えば、地下足袋を履いての歩行だったためか、足裏で土をつかむ感覚が甦ってきたのだった。
 そうした一連のことを学び直したのである。
 これは、太極拳でもよく言われることなのだが、「ああ、こうして歩くと、随分と違うな、安定感があるな」と。

 この体験は、眠っていた他の部位の役割の開花とも言えるだろうか。
 ただし、偏った力の使い方をして、他の部位に負担をかけ過ぎないことが寛容か。
 そうでないと、今度はあちこちをいためてしまいかねない。


■もっとも、自覚していなかっただけで、身体は自然と、あれこれ操作してくれていたのだろう。
 いや、労働まみれで生きてきたから、むしろ妙な癖がついているはずだ。
「まずは、その是正だな」

 つまりは、以上のように思えるところまで、腰痛は、わたしを連れてきてくれたのだった。
 とはいえ、「ありがとう、腰痛」みたいなことは言わないけれど。
 だって、まだ痛い^^。
  それにしても、咳ひとつするにも、全身が関わっているのだなと。


【追記】
 膝をいためたとき、学んだことがある。
 椅子に座っていて、立ち上がる際、からだを気持ち、前傾させ、尻から上げていくと、存外、楽に立ち上がれるといったようなことだ。

 が、腰をかばう場合は、やはり頭のてっぺんが引っ張り上げられるように、ゆっくりと上方へ、ももの力を使って立ち上がったほうが、よさそうである。

 といったように、あれこれ工夫しながら、移動を重ねているのではあった。

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夜の中へ、または時計を止めて2014

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野営地へと、たどり着く。
木々をあちこちから拾い集め、点火を。
訪れる賑やかな静寂。
後はただ、火のダンスを眺めて杯を重ねるばかり。
いつしか、皆、押し黙っているが、互いの気持ちは通じ合っている。
身心豊かな時間、止まったときが流れていくばかりだ。

 

ヴィジョンへの声

子どもらに、「成長したね」と、声をかけたのは誰?

すでにして、老いた者たちも。

 

確かに車は進歩した。

が、道路は渋滞、傷みも激しいままだ。

 

日本という湿地帯国家で暮らしている。

足もとは水浸しさ。

 

国語、いや、国家語に拉致された位相から声を放つ怖さ、切なさ。

そうして何よりも自由。

 

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